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2006年、アメリカの大学に通っていた次男が、夏休みに東京で2ヵ月半のインターンシップを受けるために帰国しました。
空港から一旦家には立ち寄ったものの、インターンシップ期間中は会社が用意してくれたサービスアパートメントから通うことになりました。
会社が借りてくれたのは六本木のアークタワーズという、一ヶ月から借りられる家具付きのサービスアパートメントでした。
一週間に2度、部屋の掃除やベッドリネン・タオルの交換もしてもらえます。
息子がインターンシップを始めて間もないある日、そんな息子の暮らしを訪ねてみました。
(この旅行記はリーマンショック前の話です。そのつもりでお読み下さい)
2010/09/06 12:09:37
静岡にガンダムを見に行った帰りに、高速代をケチった旦那が下道で帰ろうと。
そのおかげで、神奈川県小田原市にある『生命の星 地球博物館』に寄れました♪
ちなみに、ここは県内の小学校が校外学習(最近は遠足って言わないんですね)で行くような博物館です。
2010/09/04 07:09:17
福岡城は江戸時代を通じて黒田家福岡藩の居城であった。慶長5年(1600年)関ケ原の合戦の軍功により、豊前中津16万石の城主であった黒田長政は筑前52万3千石の大大名になり、かつて小早川隆景の居城であった名島城に入城した。手狭な名島城を廃し、福崎丘陵に慶長6年(1601年)から築城が開始され、7年後の慶長12年(1607年)に竣工した。
黒田父子の祖先の出身地が備前福岡であったことから、城の名も福岡城と名付けられた。ちなみに、那珂川を境に東が商人の町・博多。西が武家の町・福岡に分かれ、それぞれ発展してきたが、明治22年(1889年)に合併して、市名は福岡、駅名は博多と両者の名前を残すこととなった。しかし、博多の名の方が歴史も古く、今でも博多商人は、「福岡にはないよー。博多だけだよー。」と叫んで明太子を商っている。東京者から見れば「福岡市博多区だろう」となるが、那の津博多は2000年を越える歴史があるが福岡は高々400年の歴史しかない。
何やら、神奈川県横浜市神奈川区神奈川‥にも似ていようか。神奈川は東海道にある江戸初期からの宿場町なのに対し、横浜は幕末のペリー来航以来の歴史しかない。しかし、今では神奈川(県)よりも横浜(市)の方が知られている。どうやら、商人の町(博多)と武家の町(福岡)の歴史的な違いも含まれているようだ。
(表紙写真は福岡城潮見櫓)
2010/09/04 10:09:11
http://plaza.rakuten.co.jp/hunkorogashi/
http://www.trave-l.com/blog/hunkorogashi/
見渡すかぎりの平原になってきた。
道路はますます悪路になってきた。
睡魔と気分の悪さが交互に訪れる、その対策でもあるダービーだ。
4人で窓の外、遠くを近くを、凝視し続ける。
緑には水水しさや濃さがなく、やがて目が疲れてくる。
アフリカの人々は視力が6度もあるという。
地平線にいる人の顔がわかるらしい。
パトリックは私たちのたわいのない宝探しゲームを嘲笑しているようだった。
「ほら、今あちらのブッシュにいましたよ(笑)」
私たちには全然わからない。
私はビデオカメラをフルズームにして3人から反則をつきつけられたが、それでも動物たちの姿など、この平原には存在しなかった。
Mがシマウマを発見したと主張したが、3人にはわからず却下。
パトリックは業を煮やした様子で、やおら運転手のフランクに停車を命じた。
「右に根元から分かれたアカシアがあるでしょう?その下に小さな沼ありますね。見えますか・・・・?そこに何がいます?」
「わぁーーーー!!キリンだぁーー!!」
遠足の子どもたちのように私たちは同時に叫んだ。
そう、ダービーのチケットは払い戻しだった(笑)。
が、そんなことはどうでもよろしい。
アンボセリ公園手前の草原で、ついに私たちは「野生動物」を「発見」した!
今日から、これでもかこれでもか、と動物たちとご対面するのだが、そんなことは何も考えず、「私たち」は純粋に感動を分かち合っていた。
「でも、動物は動物園にいるだけじゃないんだね。国立公園というから、ナイロビ郊外のところにあったように柵でも囲んであるのかと心配してました(笑)」と、私はもちろん、冗談のつもりで吐く。
「ここはアフリカね。いてるところにはどこにでもいてます」とパトリックはつまらなさそうに真面目に応えた。
それより、パトリック・・・・・・関西弁が移ってるんですけど・・・・・・。
パトリックは肌が黒い。
黒人だから当たり前だが、彼の肌はマコンデ彫刻のように墨色がかっており、本当に黒が濃い印象だ。
彼はキクユ族とも明らかにマサイ族とも違う。
どこの部族出身か、旅中最後まで聞かずじまいだった。
車はジェットコースター気分を味わいながらナイロビを発つこと4時間。
ようやく、ナマンガ・ゲートという保護区域内への入り口を通過した。
「やっぱり動物園かいな?」とMに向けて、意識はパトリックに対して笑いながら言う。
しかし、保護区内外を動物たちが行き来するのは、もちろん「自由」だ。
逆に遊牧で生計を立てているマサイ族が居住区を定められ、締め出された格好だ。
人間というやつは、どこまでもどこまでも勝手だ。
人間に対しても自然に対しても。
私たち物見遊山の者どもも、このことは最低のマナーとして心得ておかねばならないと思う。
それは―――――。
それは、ここでいう「公園」とは、類長猿である私たち「動物」が勝手に線引きしたものでしかない。
私たちは「動物を見に来た」のではなく「動物に見られに」ちょっとお邪魔させてもらっているのだ。ほら。
「ほら、ヌボーとした表情で、ヌーがこっちをボーッと見てるよぅ」
「さぶーーーー」と、M。
ゲートを潜って。景色に変化こどないが、やはり動物たちが多くなってきた。
「わー、シマウマの親子ですよーかわいいー」
「あっ!ほんとにシマウマの親子ですよ。かわいいー」
「見て見て。イボイノシシよ。ほんとにイボがあるんだ。かわいいー」
動物が増えるたびに、後の3人組がやかましい。
「サファリ中は静かに願います」
パトリックの声を真似て3人に言ったが、全く無視された。
「ああああーーあれっ”!ゾウよぉー」Sがやかましい。
「うきゃーー歩いてるぅー」Hよ・・・ゾウだって歩くがな・・・・。
「どえりゃぁーーーー!!耳を羽ばたいてます!!」Mまでカメラ向けながらうるさいのなんの・・・・・・・。
「あれは暑さを冷ますためね・・・」冷ややかに言うパトリツク。
「おおおーー!パンダも発見!!」
冷たい視線を浴びるのは私・・・・・・・・。
ところで、ところで、である。
今回ケニア訪問を選んだのにはワケがある。
動物に関心がないわけではない、それもある。
しかし、私は来年キリマンジャロ登頂を計画している。
キリマンジャロはタンザニア側から登頂するのが一般的ルートだ。
ぜひ、今回ケニア側から万年雪の「アフリカの富士山」をゾウのバックなどで、この目に焼き付けておきたかったのだ。
アンボセリは神奈川県と同じくらいの面積だ。
晴れ渡ったときには、群馬からも雄姿が拝める富士山より高い山のはず・・・・・。
その雄姿がそろそろ見えてきてもよさそうなものだが・・・・・。
遠くには乾燥地帯独特の渦巻きが何本も舞っていた。
雲、そういえば、いつの間にか分厚い雲が垂れ下がっている。
少し、不安になってきた。
雲の切れ目の地平線は裾野が広がっている。
少し不安になってきた。
デリー、ムンバイ経由ではるばる、ここを目ざしてやってきたのに――まさか・・・・・――。
「まさか、正面の雲の後がキリマンジャロ?」
「イエス・・・・・いつもだいたい雲の後ね」
パトリックはつまらなさそうに、あっさり言った―――――。
2010/09/03 12:09:58
總持寺は、かつて永平寺と並ぶ曹洞宗の修行寺として栄えてきた。今から約7百年前元亨元年(1321年) 瑩山紹瑾禅師によって開創された。その後、明治31年(1898年)の大火で多くを焼失し、本山はここ石川県輪島市から神奈川県横浜市の鶴見へと移された。現在は諸嶽山總持寺祖院と言い、曹洞宗大本山總持寺祖院として、焼失を免れた経蔵、伝燈院、慈雲閣などが境内にたたずみ、七堂伽藍も再建され、威厳と風格を今に伝えており、大本山のおもかげを偲ばせる幽玄な寺になっている。
鶴見の總持寺には、もうこの方20、30年は行っていないだろう。鉄筋コンクリート製の伽藍が多く建ち並ぶ寺は全く趣がないからだ。それでも鶴見の總持寺にも国の登録有形文化財が増えてきた。移転(明治44年(1911年))から100年近くが経ち、当時のものが指定を受けるようになったのであろう。
永平寺も行くと入り口周辺の鉄筋コンクリート製の建物が見に入り、がっかりしてしまう。しかし、中に入ると木造建築の伽藍が建ち並び、その事を忘れさせてくれる。その点、ここ總持寺祖院は全て木造建築の伽藍が並び、私が期待する寺の雰囲気を醸し出している。地震で柱がずれたままではあったが、やはり、古刹は木造建築の伽藍でなければ雰囲気が出ない。
(表紙写真は總持寺祖院山門)
2010/09/02 05:09:28